コラム

娘にはしっかりと「感情」を持って欲しい。そんな親の願い

投稿日:2019年7月1日 更新日:


毎日、二歳になる娘の顔を見るのがとにかく楽しみだ。いつも私たち夫婦より後れて起床する娘は、やっと習得した日本語で「お母さん、おはようござます」「お父さん、おはよごます」と語りかけてくれる。

三十年以上も生きていると、朝の挨拶はもはや無意識レベルの習慣になっているが、娘にとっては、それが何よりの一大イベントであり、毎日しっかり行いたい行事のようである。まずはキッチンのお母さん、その後に、自室で仕事に行く準備をしている私の元へ。律儀に挨拶に来る様子はとても微笑ましく、同時に、忘れていた大切なことに気づかせてくれるような、そんな感覚を抱かせてくれる。

「子育て二年生」である私たち夫婦は、言うまでもなく、何度も後悔を重ねてきた。つい感情のままに怒ってしまい、寝顔に謝ったことも一度や二度ではない。「人が人を育てる」とはこんなにも難しいことなのかと、日々勉強の繰り返しである。子育ての難しさは、金銭面や時間、体力の問題だけではない。家族間で交わされる、コミュニケーションと感情のキャッチボール。これを円滑に行うことが何より難しく、同時に、やりがいのあることだと痛感している。

よく夫婦で話すのは、「娘にしっかりと感情を持って欲しい」ということ。もちろん、子供は感情のままに行動する。泣き、喚き、怒り、笑い。日本語を加速度的に習得していく現在の娘は、親に文句を言うこともあれば、わがままを大声で叫ぶこともある。そういう意味では、「感情を持つ」というのは、至極当たり前のことだ。

しかし、私たちが考えているのは、正確には「然るべき感情を然るべきタイミングで持つ」ことを意味する。例えば、怒るべき時に怒る。泣くべき時に泣く。笑うべき時に笑う。それがしっかりできる人間になって欲しいな、と。

これはともすれば、わがままな人間を育ててしまうのかもしれない。しかし、どうだろう、「感情を持つ」ということと、「その感情を顔や表情、言動として表現する」は、決してイコールではないはずだ。それは俗に言う「処世術」として、幼稚園や保育園、小学校と、後の社会で学んでいけるテクニックである。まず今の段階は、しっかり喜んで、しっかり泣いて、しっかり怒って・・・。そういった、根っこの感情をちゃんと持てる人間になって欲しいな、と思うのだ。

これを具体的な行動に落とし込むと、その最たるものは、「親もひたすらに感情豊かになる」だ。仕事や家事で疲れていようがお構いなしに、可能な限り子供の感情に寄り添う。娘が満面の笑みで喜べば、親も両手を挙げたりガッツポーズしたりして、大きなリアクションで一緒に喜ぶ。娘が何か哀しい出来事に直面して泣いている時は、手を握ってあげて、頭をさすり、真っすぐに目を見ながら、こちらも哀しい表情をする。怒っている時は、条件反射で怒り返してしまうのではなく、なるべく本人の主張を聞いて、目の前に座って対話を試みる。

いわゆる、「しっかり構ってあげる」である。これはもう、子育ての基本の「キ」でありながら、しかし絶妙にハードルが低くはない。仕事で疲れて帰宅し、ソファに座り込んだその時でも、娘は全力で感情を表現している。自分の身体に鞭を打ち、それに真っすぐに向き合う。

大人の立場としては不思議なもので、「感情をしっかり持つ」もしくは「感情を全力で表現する」は、思っていたよりはるかに疲れるものである。子供の頃は、こんなにも純粋に感情をまき散らしていたのに、大人になり、世間の波に揉まれてしまったのか、大きく笑うことも、しっかり泣くことも、いつの間にか少なくなってしまったのかもしれない。

映画館で映画を観て、思いっきり感動して身を震わせて泣いた時など、意外にもずっしりと疲労を覚えることがある。それほどに我々大人の感情は、過ぎ行く日々の中で、なんとなく何かをやりすごし、大きくうねることも傷つくこともない、そんな「なあなあ」なスタイルに定着してしまったのかもしれない。

だからこそ、娘と何かをする訳でもなく、「全力で過ごす」だけで、ぐったりと疲労に襲われてしまう。娘がテレビを見て何かを喋れば、目を見てしっかり話し相手になる。積み木でタワーを作って喜べば、お祭り騒ぎのように一緒に喜ぶ。そうやって、常に全力で人生を謳歌する娘は、電池が切れたかのように眠りにつく。あれほど全てに体力を注ぎ込んでいれば、当然である。そして同じく私も、寝かしつけと同時に寝落ちしてしまうのであった・・・。

「しっかり構ってあげる」、つまりは、「しっかりその感情に寄り添ってあげる」。もちろん、仕事や家事で十分な時間を作れずに、娘に構ってあげられない時もある。しかし、こちらから積極的に感情に寄り添っていくと、娘も懸命に返そうとする。拙い日本語で、親に自分を熱心に伝えようとするのだ。重ね重ね、子育ての基本であると痛感しているが、だからこそ何よりも重要なことなのだろう。

もう一年も前のことになるだろうか。我が家に積み木がやってきた頃、娘は見向きもしなかった。平均的な目安に比べて若干発育がスローペースだった娘にとって、次回の検診でテストされる「積み木を積む」は相当なハードルがあった。もちろん、あくまで目安であると私たち夫婦も分かっているが、それでも、そのタイミングで積み木が積めるに越したことはない。どうしたものかと思案した末に、特訓を試みることにした。それは、実際に積み上げる手先の練習ではない。「積み木を積み上げて、それを楽しむ」という感情の練習だ。

まずは、仮に娘が見ていなくても、私が積み木を積んで遊ぶ。もはや何十年ぶりかの積み木だったが、積み上げ、簡単なタワーを作り、最後にめちゃくちゃ喜ぶ。重ねて書くが、仮に娘が見ていなくても、だ。「積み木を積むのはとにかく楽しい」という、感情の動き。まずはその存在をアピールするところから始めた。

虚しく感じつつ何日もやっているうちに、次第に、娘も関心を示し始める。純粋に積み木に対する興味もあっただろうが、同時に、「父親が楽しそうにしている」ことへの興味があったのだろう。「私も混ぜて」と言わんばかりに近寄り、積み木を触ろうとする。

そうなれば、後は反復である。娘が何度積み木を落しても、投げても、諦めても、それでも父である私は積み木で楽しむことを続ける。積み木に限らず、何かをやってそれが達成されると、まずは「嬉しい」のだ。そういった感情の動きを知って欲しいのである。そうして何度もチャレンジし、果てに、娘は無事に積み木を習得。二歳になった今でも、積み木を積み上げては立ち上がって、両手を挙げ、満面の笑みで「わーーーい!!!」と叫ぶ。「喜ぶ」という感情が爆発する瞬間だ。

娘には、学生になっても、大人になっても、何かを成し遂げて嬉しい時は、しっかり「嬉しがる」ことができる人間であって欲しい。そんな親心の出発点が、私にとって、前述の積み木のエピソードであった。今のところ、娘の「喜び」の感情はとっても表情豊かである。

段々と物が分かるようになってきた娘は、会話が成立する他に、「怒られる」「叱られる」という体験を重ねるようになっていく。同時に、「子供を叱る」ことの難しさを、親として痛感する日々が続く。

ただ怒って何かを注意したり、やめさせたりするのであれば、簡単なのだ。感情のまま怒鳴りつけて、委縮させてしまえば良い。しかし、それはただ恐怖心を与えて顔を引きつらせているだけである。「叱られてしまった」「怒られてしまった」、その先にある、「なぜ親をそうさせてしまったのか」「自分はどういう感情で親と対面したら良いのか」。二歳の娘が今の時点でそこまで考えているとも思えないが、それでも、彼女の中にその形成の可能性を見込みながら、ぐっと堪えて、手を握って語りかける。もちろん、口調は少し強めになってしまうけれど、それでも、「叱られた」という体験を「感情」の中で処理して欲しいのである。「委縮する」は、もはや条件反射の域だ。それは決して、「感情」の起伏にはカウントされない。

反対に、何かを成し遂げた時は、これでもかと全力で褒めるようにしている。頭を撫でるだけでは足りない。立ち上がり、こちらも全力の笑顔で、全身を使って「褒め」を表現する。むしろ、一緒に「喜ぶ」に近いのかもしれない。絵本を本棚にしっかりと片付けることができた、そんな小さなことにも、ハイタッチの勢いで歓喜の行動を起こす。

娘は日々、何をどれだけ考えて行動しているのだろうか。私たち夫婦は娘本人ではないので、それを完全に把握することはできない。しかし、人間として何十年も先輩なので、その経験をフルに活かし、想像し、慮ることはできる。

彼女はおそらく、今とても嬉しいはずだ。哀しいのか、怒っているのか、途方に暮れているのか。あるいは、何かが欲しいのか、要らないのか、替えて欲しいのか。顔の筋肉ひとつの動きにまで注目し、想像し、そこに結びつく「感情」を想定する。その「感情」を、しっかりと本人の中に定着させたい。それを目標に、試行錯誤しながら日々のコミュニケーションに臨んでいる。

「子供が何を考えているか分からない」。そんな親の意見を見かけたことがある。もちろん、感情の表現というのは、家庭環境だけでなく、様々なファクターによってはじき出されるひとつの「結果」である。これから、幼稚園や保育園、小学校から中学校と、娘は様々な環境を渡り歩いていく。人に比べて何かができない自分に落ち込むこともあれば、誰かと衝突してしまう時もあるだろう。思いのほか上手くできた何かに喜ぶ場面も、達成感が自信に繋がるシチュエーションもあるだろう。

その際に、自分の中に芽生えた「感情」をしっかりと自覚し、心の中で向き合える人間は、素晴らしくはないだろうか。感情をコントロールする術は、今から一歩ずつ、社会生活を送りながら一緒に学んでいこう。まずはその前段階として、自分の中にある「感情」の尊さを知って、そして、識って欲しい。これから君は、未体験の「感情」と何度も出会っていくのだろうから。

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結騎 了
仕事と育児に追われながら「映画鑑賞」「ブログ更新」の時間を必死で捻出している一児の父。歳はアラサー、地方住まい。ブログを学生時代から書き続け、二度の移転を経ながら十数年継続中。『別冊映画秘宝 特撮秘宝』『リアルサウンド映画部』『週刊はてなブログ』等に寄稿。ブログURL:https://www.jigowatt121.com/

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